史跡 白山平泉寺旧境内

本年は平泉寺白山神社三十三式年大祭の年に当たっており、33年に一度白山神社本社の御神像が御開帳される年にあたります。
5月23日(金)から25日(日)までの三日間のみの公開です。
日本の道100選中宮平泉寺参道

参道の入り口には日本の道100選 中宮平泉寺参道 昭和61年8月10日 建設省「道の日」実行委員会と刻まれていました。
ここで注意しなければならない点は、史跡白山平泉寺旧境内、中宮平泉寺参道とありますが、どこにも白山神社の文字がない点です。
果たして?平泉寺白山神社のどこに白山神社の文字が刻まれているのか?
今回はその点にも注目したいと思いますね。
さらには日本の道100選って?他に何があるのか??そこも気になるところです。
日本の道百選とは?
日本の道百選は、建設省が1986年~1987年に選出した道路の百選です。選定の基準となっているのは歴史性と親愛性(53本)、そして美観性と機動性(51本)です。選定された道路は建設大臣から顕彰を受け、記念のプレートが交付されています。選定の対象となった道路の中には、見晴らしのいい国道もあれば、勾配がきつく入り組んだ山道、並木道なども含まれており、バラエティに富んだ選定となっています。
日本百選 都道府県別データベースより
にゃんと!
100選なのに104本あるのだと!!w
菩提林(ぼだいばやし)

「菩提」とは、煩悩を断ち切り、悟りの境地に至ることを意味します。
菩提林は、修行僧が精神を清めるために歩んだ道として、また白山信仰の聖地としての歴史を有しています。
中宮平泉寺菩提林(ちゅうぐうへいぜんじぼだいばやし)は、平泉寺白山神社の参道で、樹齢1000年を超える老杉やブナなどが立ち並ぶ神秘的な森です。この菩提林は、修行の場へ至る参道として、また白山信仰の聖地としての歴史を有しています。
この道は普段はバスやタクシー車の往来が結構あるのですが、式年大祭の期間中は車両通行止めになっていたのでこの日はとても歩きやすかったです。
1000年の歴史を誇る旧参道の石畳

この石畳の参道は1000年前から存在していた道で、この道が昭和61年に日本の道100選に認定されたわけです。
旧参道
六千坊ノ衆徒九頭龍川
ヨリ手送ニテ造リシ石畳
(裏)
昭和七年之建
昭和七年…一九三二年。

菩提林に700メートル続く石畳の参道は、千年前から現存する道路です。
石畳に使われている石の裏には法華経の文字が書かれており、僧達が経文を唱えながら女神川(おながみがわ)から手渡しで運んで石畳を作ったと言われています。
牛岩・馬岩

ChatGPTによる解説
■ 牛岩・馬岩とは?
平泉寺白山神社の参道沿いにある自然の大岩で、それぞれ「牛岩(うしいわ)」「馬岩(うまいわ)」と呼ばれています。
◉ 牛岩(うしいわ)
- 見た目が牛のように見えることからその名がついたとされます。
- 古くは、白山への参詣に牛を連れてくる人が多く、この岩に牛をつないでいたという伝承もあります。
- 「牛の神使」としての意味合いを持つという説もあり、農耕神としての白山信仰と関連づけられることもあります。
◉ 馬岩(うまいわ)
- こちらも馬の形に見えることからその名がついています。
- 白山登拝の出発点として、馬をつないだり、馬とともに祈願をした場所と伝えられています。
- 馬は神の乗り物(神馬)としての意味もあり、馬岩もまた霊的な意味を帯びています。
平泉寺白山神社WEBサイトによる解説
牛岩・馬岩
その昔、昼でも暗い菩提林の中を参拝者が進むと、大きな牛と馬が道いっぱいに横たわっていて遮っていました。
たいていの人は逃げ帰りますが、ある男が毎晩牛と馬を飛び越えてお参りを続けました。
夜が明けると牛と馬の姿はなく、道の両側に二つの大岩になっていたという言われのある岩です。

牛岩馬岩
三刻諸々牛馬ニナリ
通路ヲ妨タケタリト謂
(裏)
昭和七年之建


旧参道は700mほど現存しています。

参道にはブナの木や様々な木が存在します。
平泉寺白山神社参道の案内板

平泉寺白山神社参道
白山神社に通ずる
石畳の参道は、
現在約七百メート
ル残っていて
中世に僧兵達が
九頭竜川の川原の
石を運んだと伝え
られ、
参道の両側には、
杉・檜・﨔・松等の
鬱蒼たる並木が
続いている。
昭和六十一年八月
「日本の道百選」に選ばれた。
ここに来て初めて白山神社参道の文字が現れます。
しかしながら、それは昭和61年8月の日付になっておりました。
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