
平泉寺白山神社の川上御前
平泉寺白山神社の川上御前がどこからやってきたのか?
チャッピー先生に質問して見ました。
ChatGPTによる解説
① 川上御前の正体 ― 何者か?
川上御前は、
白山の水源・川の上流・霊威そのものを人格化した神(女神的存在)
です。特徴として、
- 「御前」と呼ばれる(=女性神・尊称)
- 川・水・源流・治水と深く結びつく
- 明確な『記紀神話』の系譜を持たない
という点があります。
👉 これは 古代山岳信仰に由来する土着神・自然神の典型 です。
② 川上御前は「どこから来た」のか?
結論:
白山そのもの(特に水源)から生まれた信仰存在です。
具体的には:
- 白山は北陸最大級の水源山岳
- 手取川・九頭竜川・庄川などを生む
- 人々は「水を生む霊山」として白山を畏敬した
このとき、
山 = 神
水 = 神の働きという認識があり、
「川の上流に坐す女性神」=川上御前
という神格が自然発生的に成立したと考えられます。
③ 平泉寺白山神社との関係
平泉寺白山神社は、
- 泰澄大師による白山開山(717年伝承)
- 神仏習合の一大拠点
- 白山禅定道(登拝路)の起点
という性格を持っていました。
ここで重要なのは、
🔹 平泉寺は「白山神を創った」のではない
🔹 白山信仰を体系化・組織化した
という点です。
川上御前は、
- 白山信仰成立以前から存在していた
- 白山の水霊・地霊として信仰されていた
- 平泉寺がそれを白山権現信仰の内部に組み込んだ
と理解されます。
④ なぜ「川上御前」は各地に現れるのか?
白山信仰が広がると、
- 白山 → 水源の神
- 水源 → 川上御前
- 川 → 村落・田畑を潤す
という信仰構造が、各地に投影されました。
そのため、
- 平泉寺周辺
- 手取川上流域
- 白山麓の村々
に 「川上御前を祀る社」「川上権現」 が成立します。
👉
桑島(東島神社)で川上御前が祀られていたのは、まさにこの流れです。
⑤ 仏教的には誰と習合したのか?
神仏習合の中で、川上御前はしばしば、
- 観音菩薩(特に水に関わる観音)
- 白山妙理権現の一側面
- 場合によっては 弁才天的性格
と習合しました。
これは、
- 慈悲
- 水
- 命を育む力
という共通点によります。
⑥ まとめ:川上御前は「どこから来た神」か
観点 答え 地理的起源 白山の水源・山岳自然そのもの 人為的勧請 ❌(特定の神社から来たわけではない) 信仰的性格 水霊・地霊・女性神 平泉寺との関係 白山信仰の中核神格として体系化 桑島との関係 手取川上流域信仰の具体化
🔑 最も重要なポイント
川上御前は「移動してきた神」ではなく、
白山という霊山から“滲み出た神”である
――これが、現在もっとも妥当な理解です。
今回のチャッピー先生の解説は少し的を外しているようです。
解説が間違っているということではなく、平泉寺白山神社と桑島神社の関係において少し認識が異なっているようです。
川上御前は越前和紙の始まりの神様
川上御前(かわかみごぜん)は越前和紙の神様で、およそ1500年前に福井県越前市五箇地区へ紙漉きの技術を伝えた女神です。大滝町の岡太(おかもと)神社・大瀧神社にお祀りされていて、日本の紙業界の守り神として全国から尊ばれています。
https://note.com/study_of_washi/n/n891b33564b7e
越前和紙の産地である越前市五箇(ごか・不老/大滝/岩本/定友/新在家の5村)の紙漉きの始まりは1500年前とされ、そのよりどころは五箇地区と神社に言い伝わる川上御前の伝説です。
伝説ではおよそ1500年前(5世紀末)、後の継体天皇となる男大迹王(をほどのおおきみ)が越前地方を統治していたとされる頃、岡太川に美しい女性が現れ、田畑の少ない土地の村人に紙漉きの技術を丁寧に教えたとされています。喜んだ村人がその名をたずねると「この川上に住む者」とだけ答え、姿を消してしまいました。村人はこの女性を川上御前と尊(とうと)び、紙祖(しそ・紙の始まりの元祖)の神様として、岡太神社にお祀(まつ)りしました。
チャッピー先生がおっしゃるように、川上御前は泰澄大師より以前に存在していて、最も有名なのが大滝町の岡太(おかもと)神社・大瀧神社だといえます。
ただし、白山信仰そのものは白山比咩神社の起源が紀元前91年とされていますので、少なくとも2100年以上の歴史があり、川上御前よりも新しいとは言い切れません。
ここでは、そのことはそれほど大きな意味を持ちませんので、気にしなくて大丈夫です。

平泉寺白山神社の川上御前はどこからやってきたのか?
平泉寺白山神社本社には御神像として川上御前が祀られており、33年に一度ご開帳されます。
では?
その御神像はどこからやってきたのか?
平泉寺白山神社のHPには解説されていません。
言い伝えによれば、平泉寺が大火で燃えている最中お坊さんたちが川上御前の御神像を火中より発見して連れてきて、現在の場所に安置したと、、、、。
そのような話を聞いたことがあります。
これは言い伝えです。
実際にはどうなんでしょう??
川上御前の由来
石川県自然保護センター編集 はくさん 第17巻 第2号より
同誌にはこのような記述があります。

川上御前社跡保存会結成
これまで紹介したように、林さんは故郷を離れた今でも色々な形で三ッ谷と関わり続けています。
その代表的な活動が川上御前社跡保存会の結成です。
川上御前社跡は、白山開山の祖とされる泰澄大使が白山からの帰路に立ち寄って、社を建立して女神像を祀ったと伝承される史跡で、三ッ谷から福井県に至る越前禅定道(廃道)の途中にあります。
川上御前社跡保存会は、この社跡を後世まで末永く保存することを目的に旧河内住民有志を中心に昭和60年に結成されました。
〜中略〜泰澄大師の自伝と伝えられる女神像の御本尊は現在、平泉寺白山神社社殿に祀られて、33年毎に公開される年期開帳の秘仏となっている。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/hakusan/documents/hakusan17-2.pdf
また、もう一つ白山自然保護センターの資料には以下のようにあります。
白山の自然史21 白山禅定道 2001年3月 白山自然保護センター

「和佐盛平」を通る林道の終点からの道は登山道として残っており、そこから「小原峠」に登ります。
峠には石仏が祠の中に安置されています。
ここから三ツ谷(秘密谷)へ下りますが、市ノ瀬へ続く古道は廃道となっています。
三ツ谷の集落も今はなくなりました。
しかし、古道沿いにあった「川上御前社」は三ツ谷出身者の手によって復元されています。
祠には泰澄大師が白山の帰路、山頂で拝顔した女神を、自ら彫ったとされる女神像の複製が安置されています。

この川上御前社は現在でも登山道の途中に存在しています。
中には川上御前御神像の複製が祀られているようですね。
しかし、ここで注目すべき点は泰澄大師は川上御前像を刻んだわけではなく、山頂で拝顔した女神を自ら彫ったとされている点です。
泰澄大師が刻んだ神像は、白山権現、白山妙理権現だったのでは?と思われるわけです。
では?
なぜ、それが川上御前になったのか?
理由はよくわかりませんが、三ツ谷地区は綺麗な水が豊富に流れていて、和紙を作るのに適していたのか?
川上御前がある日、村人の前に現れて、和紙の作り方を教えてくれた??
そんな伝説が思い浮かびますが、確かな事はわかりません。
チャッピー先生の言うところでは、
① 川上御前の正体 ― 何者か?
川上御前は、
白山の水源・川の上流・霊威そのものを人格化した神(女神的存在)
です。特徴として、
- 「御前」と呼ばれる(=女性神・尊称)
- 川・水・源流・治水と深く結びつく
- 明確な『記紀神話』の系譜を持たない
という点があります。
👉 これは 古代山岳信仰に由来する土着神・自然神の典型 です。
と言うところなんでしょう。
手取川の支流の一つの川上であったことだけは間違えありません。
ところで、三ツ谷の川上御前社には現在は複製が残されている??
では、本物はどこに行ったのでしょう??
桑島神社と川上御前
現在の白山市、旧白峰村に桑島神社があります。

桑島神社には川上御前にまつわる由緒が記されていました。


桑島神社由来
境内奥にある小さな境内社は「川上御前」であり、その由緒書き(本文は縦書き)には、 次のように記載されている。
川 上 御 前 の 由 緒
https://e-moto6120.mongolian.jp/hakusanzinzya/hakusansi/siramine-kuwazima/siramine-kuwazima.html
正徳三歳癸巳秋、嶋村上宮社神主の書き残された氏神略縁起冒頭に「抑、本社は霊亀三年、越の泰澄大師の開基給ひし白山大権現の末社にして、天徳の頃 川上御前を安置ありしが、縁故ありて其像を平泉寺へ納めたり。」と伝う。
爾来、平泉寺においては、秘宝として三十三年毎の御開帳以外に、尊像を拝する事は許されず。
たまたま本年御開帳の年を迎え、五月大祭が営まれたのを機に、白山神社に参拝、尊像を拝し、祖神に対する崇敬の念を新たにした。
時に、白山大汝峯に祀る神殿、落雷の被害にあい、新しく造営するにあたり、旧社殿を修復し奉り、御神体を安置、川上御前社として、桑島神社の神域に、建立奉祀することとなる。
平 成 四 年 九 月
桑 島 区
桑 島 褒 寿 会
縁故ありて其の像を平泉寺に納めたりとはっきり明記されていました。
つまり、川上御前はどこからやってきたのか??
白峰村桑島神社からやってきたのである!
ということが、ここに記されているのであります。
さらに
(以下は石川県神社庁ホームページより引用)
https://e-moto6120.mongolian.jp/hakusanzinzya/hakusansi/siramine-kuwazima/siramine-kuwazima.html
御祭神:上宮之廏戸豐聰耳命 天照大神
由 緒:
東島神社は天徳年間村の南方に一堂を建立し川上御前を祀ったのを創始とする承保年代越前平泉寺との紛争のさい祭神を譲ったがその後一旅僧の預け残した上宮厩戸豊総耳皇子の立像を祭る神として 村の中央西側に社殿を造営し祀ったと伝えられる。
西島神社は養老年間泰澄大師より観音像を授けら れたのが本社の起源で六百年前大火で焼失さらに三百年前にも罹災し行基作という阿弥陀如来像を失いその後薬師如来像を求めて奉祀したという明治八年天照大神を祭神としたが本社は明治三十年再び焼失しその後再建された。
手取川本流ダム建設にともなう水没のため昭和五十二年四月東西両神社を 合併して桑島神社と改称する昭和五十三年十月新桑島の景勝の地に元東島神社を移転社務所を新築し て慶賀祭を行なう。
桑島神社は東島神社と西島神社を合祀して設立されたものだと記されています。
なんらかの紛争で平泉寺と対立した末に御神像の川上御前を譲った(奪われた??)という事です。
西島神社は、幾度か火災で御神像が焼失したとあります。
お坊さんたちが火災の中から川上御前を助け出してきたという言い伝えも、ある意味筋違いだとは言い切れない側面もあるように思われますね。
実際には東島神社が焼失したとは記されておりませんが、のちに合祀されて一つの桑島神社に統合されています。
ここでもう少しチャッピー先生に桑島神社について解説してもらうことにします。

⛩ 桑島神社(白山市桑島)の由来と歴史
所在地
石川県白山市桑島四号(87-41)に鎮座しています。石川県神社庁祭神
- 上宮之厩戸豊聰耳命
- 天照大神(あまてらすおおみかみ)石川県神社庁
🪶 起源と成立
桑島神社は、もともと別々にあった神社が合併して成立した神社です。以下のような流れで成立したと伝えられています:
① 東島神社(旧)
- **天徳年間(約1050年前後)**に建立されたとされ、
- 当初は村の南方に社を建て、川上御前を祀っていたと伝えられています。
- 越前・平泉寺との争いの際、祭神を譲った記録もあります。石川県神社庁
② 西島神社(旧)
- **養老年間(約1300年前後)**に泰澄大師が観音像を授けたことが起源とする説があります。
- その後、火災で焼失したり、阿弥陀如来像を失ったりという歴史があり、
- 明治8年(1875年頃)に天照大神を祭神として祀ったと伝えられています。石川県神社庁
🔄 近代の変遷
- 明治時代~昭和初期までに西島神社は一度焼失し、再建が行われました。石川県神社庁
- 1960年代〜1970年代(昭和時代後期)、手取川本流のダム建設による水没計画の影響で、
- 東島神社と西島神社を**合併し「桑島神社」**と改称しました。石川県神社庁
- その後 **昭和53年(1978年)に現在の 桑島の地に移転し社務所を新築、
合併神社としての慶賀祭(再建祭)が執り行われました。石川県神社庁
🏞 地域と文化
桑島地区そのものは、手取川ダム湖の建設に伴う水没地域として知られており、
- かつては東島・西島という二つの集落に分かれていました。
- 東島・西島それぞれに神社がありましたが、その歴史や信仰を受け継ぐ形で現在の桑島神社が成立したという経緯があります。石川県公式サイト
このように 桑島神社は地域の変遷(治水・集落の移転)とともに創建・再編された歴史ある社です。
📌 まとめ(ポイント)
時代 できごと 養老・天徳期 西島・東島に別々の社が成立(観音像・川上御前など)石川県神社庁 明治時代 西島神社が天照大神を祭神とする社に石川県神社庁 昭和期 大規模ダム建設により両社を合併 → 桑島神社に石川県神社庁 昭和53年 現在地へ移転・慶賀祭を実施石川県神社庁
必要であれば、祭礼や年中行事・ご利益(例:家内安全・交通安全・開運など)や境内の見どころ(本殿・社叢など)についてもお伝えできますよ。
東島神社と西島神社は元々どのの位置にありましたか?
石川県白山市桑島の 東島神社・西島神社の旧所在地 について、現在残る記録や地域史から分かっている範囲で整理します。
東島神社の旧位置
- 所在:
旧・桑島村 東島集落 内- 位置関係:
集落の 南方寄り、
手取川上流に近い段丘・山裾側 に鎮座していたと伝えられます。- 特徴:
- 「川上御前」を祀っていたとされる
- 川の守護・水神信仰の性格が強い
- 洪水・治水と深く関わる社
👉 東島神社は、川と山の境界に近い場所にあり、
水源・上流を意識した信仰拠点でした。
西島神社の旧位置
- 所在:
旧・桑島村 西島集落 内- 位置関係:
東島よりも やや下流側、
集落中央〜背後の斜面寄り にあったとされています。- 特徴:
- 泰澄大師伝承(観音授与)をもつ
- のちに天照大神を祀る
- 集落鎮守・生活守護の性格が強い
👉 西島神社は、人々の生活圏に密着した鎮守社でした。
東島・西島の位置関係(概念)
山地・白山方向 ▲ │ [東島神社] │ (上流・川上) ────────── 手取川 ────────── │ [西島神社] │ (下流・生活圏) ▼ 平野方向※ あくまで 位置関係を示す概念図 です。
なぜ現在は同じ場所に?
- 手取川ダム建設(昭和期) により
東島・西島両集落は 水没予定地 となりました。- それに伴い、
- 東島神社
- 西島神社
を 合祀・統合。- 昭和53年(1978年)、
水没を免れた現在地に
👉 桑島神社として遷座 しています。
まとめ
神社 旧位置 性格 東島神社 上流側・集落南方・川寄り 水神・川上信仰 西島神社 下流側・集落内・山寄り 鎮守・生活守護 現在 水没回避地に合祀 桑島神社
🪔 平泉寺白山神社(白山信仰)とのつながり
⛰ 白山信仰とは
白山(標高2702m)は古くから信仰の対象となり、**白山信仰(白山権現信仰)**として広く各地に広がりました。特に福井県勝山市の 平泉寺白山神社 は、養老元年(717年)に泰澄大師が開いたと伝えられる白山信仰の重要拠点です。この社は古代〜中世にかけて大社となり、全国の白山系神社に影響を与えています。平泉寺白山神社
🕯 東島・西島との関係性
- 西島神社の起源として、泰澄大師が観音像を授けた伝承があることから、白山信仰とのつながりが示唆されます。白山信仰圏では、泰澄大師関連の伝承や分霊が各地で見られます。石川県神社庁
- 東島神社は「川上御前」を祀った社であり、手取川の源流や水神信仰が結びついた地域的信仰色が濃い一方で、周辺の信仰・道場(如平泉寺白山神社など白山系)とも交流があった可能性があります(地域史全体の文脈として)。石川県公式サイト
🗻 白山信仰の影響―背景として知っておくこと
平泉寺白山神社は、「白山三馬場」の一つ(越前馬場)として、古来から白山への参詣道の起点・拠点となり、加賀・美濃地域を含めた広い範囲へ白山信仰を伝播しました。これにより、両神社のような地方的な信仰や伝承が形成・発展したと言われています。国土交通省 港湾局
🧭 まとめ:旧社地の位置と意味
項目 旧位置 意味 東島神社 旧・東島集落(川上・上流寄り) 水源・流域守護・治水信仰 西島神社 旧・西島集落(下流寄り) 集落鎮守・生活・白山信仰圏とのつながり 白山信仰(平泉寺白山神社) 越前側白山の重要拠点 地域宗教圏として広く影響
ここでは川上御前を桑島神社から平泉寺に移設したことが書かれているので、AIも万能ではないというか、これからさらに発展するのかな?
そんなところが垣間見れますね。
総まとめ
川上御前はどこからやってきたのか?
泰澄大師が白山から下山後白山で見た女神様を刻んで三ツ谷(秘密谷)に納めた
その御神像が白峰の東島神社に祀られた
平泉寺との紛争の際に御神像が東島神社から平泉寺へと渡った
そのような流れだったと理解できますね。
最後に
ここまでのお話はすべて言い伝えベースです。
歴史的史実の裏付けがあるものと、曖昧なものが混在します。
泰澄大師に関する伝記の多くは言い伝えであり、全くの空想ではないまでも事実とは合致しない別の言い伝えを合成した生成AI のようなものとなっている場合が多く見受けられます。
それだけは、ご承知おきください。
白山信仰にはそういう側面が多く存在することも事実です。


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