松任 えびす山からの白山と蛭子神社

白山市
えびす山の石票

えびす山は日本海に程近い超低山

一見、山には見えないところに「えびす山」と刻まれた石票がたっています。
どんな云われがあるのでしょうか?

ChatGPTに聞いてみた

松任えびす山(まっとう えびすやま)

松任えびす山は、石川県の白山市松任地区にある小高い丘で、地域の信仰や歴史と結びついた場所です。現在はえびす神社が祀られている丘として知られています。


1. 地形と場所

えびす山は、松任の市街地の中にある**小さな独立丘(小丘)**です。

  • 標高:およそ 20m前後
  • 周囲:松任の市街地
  • 位置:旧松任城下町の近く

このような丘は、加賀平野では珍しく、
古くから目印や祭祀の場所になりやすい地形でした。


2. えびす信仰

山頂にはえびす神社が祀られています。

えびす神は日本で広く信仰される福の神で、

  • 商売繁盛
  • 大漁
  • 五穀豊穣

などを司る神です。

松任は江戸時代に市場町・宿場町として発展したため、
商売の守り神としてえびす信仰が広まりました。


3. 松任城との関係

えびす山の周辺は、かつて松任城(松任城跡)の城下町でした。

松任城は戦国時代から存在した城で、
加賀一向一揆や戦国大名の争いの舞台となりました。

江戸時代になると城は廃されますが、
城下町の町割りは現在の松任市街地に引き継がれています。

えびす山はその城下町の中に残る自然地形の名残でもあります。


4. えびす山の性格(歴史的な見方)

Screenshot

研究者の中には、えびす山を

  • 古代の祭祀の丘
  • 古墳または古墳状地形
  • 城郭に関係する土塁的地形

などと推測する意見もあります。

ただし現在のところ明確な古墳と断定されているわけではありません。

しかし、

  • 平野の中にある孤立丘
  • 神社が祀られている

という点は、古い信仰の場所によく見られる特徴です。


5. 松任の地形の中での意味

松任周辺の加賀平野は、基本的にほぼ完全な平地です。

その中で

  • えびす山
  • 五軒丁山(ごけんちょうやま)

のような小丘は、昔から

  • 目印
  • 信仰の場所
  • 避難場所

として重要でした。

(以前ご質問のあった五軒丁山も、同じような性格を持つ地形です。)


6. 地元の生活との関係

えびす山は現在、

  • 地元の小さな信仰の場
  • 散歩コース
  • 地域のランドマーク

として親しまれています。

都市化が進んだ松任の中で、
昔の地形と信仰を残す場所といえるでしょう。

実は、松任のこれらの丘は
白山信仰とも関係している可能性があり、なかなか面白いテーマです。

松任えびす山は古墳なのか?

結論からいうと、
**現在のところ「古墳と確認されたわけではない」**ですが、

地形的には 古墳の可能性が指摘されることがあるタイプの丘です。

理由はいくつかあります。


1 平野の中の孤立丘

松任周辺の加賀平野は、ほとんど起伏がありません。

その中で

  • ぽつんと存在する丘
  • 人工的にも見える丸い形

という地形は、古墳でよく見られます。

北陸地方では、

  • 小円墳
  • 削平された古墳

が後世の開発で形を変えていることが多く、
一見ただの丘に見える例もあります。


2 山頂に神社がある

古墳の上に神社がある例は、日本各地にあります。

理由は主に二つです。

① 祖先・霊の場所として尊ばれた
② 目立つ場所なので信仰の場になった

特に

  • 稲荷
  • 八幡
  • 恵比寿

などの神社が後世に祀られることが多いです。

えびす山もこのパターンに近い可能性があります。


3 地名「山」

加賀地方では

  • 小さな丘
  • 古墳

のような地形に **「山」**が付くことが多いです。

  • 五軒丁山
  • えびす山
  • ○○山

これは実際の山というより

「盛り上がった土地」

を意味する古い呼び方です。


松任の小丘の共通点

松任周辺には、実は似たような丘がいくつかあります。

代表例

  • えびす山
  • 五軒丁山

これらは次の特徴を共有しています。

① 平野の中の孤立丘

自然の地形としてはやや不自然。

② 神社が祀られる

信仰の場所になっている。

③ 古い町の近く

人の生活圏の中心付近。

この条件は古代祭祀地の特徴と一致することがあります。


古代祭祀地の可能性

北陸では、古代に

  • 小丘
  • 砂丘
  • 河岸段丘

などが 祭祀の場所になることがありました。

理由

平野では高い場所=神に近い場所と考えられたためです。

つまりえびす山は

可能性として

  1. 自然丘
  2. 古墳
  3. 古代祭祀の丘

のいずれか、あるいは複合の可能性があります。


白山信仰との関係

松任は古くから

白山比咩神社の門前地域でもありました。

白山信仰では、

  • 小丘

などの 自然の高まりが神聖視されます。

そのため

  • 小さな丘に祠を置く
  • 後世に神社になる

という例が多いのです。


実は松任は「微高地」の町

松任の町は、完全な平地ではなく

手取川の旧河道による微高地の上に形成されています。

つまり

  • 洪水に強い場所
  • 人が住みやすい場所

だったのです。

えびす山はその中でも

特に高い場所

だった可能性があります。


もし現地で観察するなら(面白いポイント)

えびす山を見るときは次の点を観察すると面白いです。

  • 丘の形(円形か)
  • 斜面の傾斜
  • 周囲よりどれくらい高いか
  • 土の種類

これで

自然丘か人工丘か

ある程度想像できます。


今回のChatGPTはえらく雄弁に語りましたね。
前回の五軒丁山のところで白山信仰との関わりがはっきりしなかったのですが、白山信仰では、山、岩、丘が神聖視される なるほどそういう関わりがあったのですね。

今回のChatGPTの解説に関して問題点を挙げるとすると、えびす山の山頂には蛭子神社や祠は存在しません。
かつて存在したととは考えられます。
その辺も今回は探ってゆきます。


えびす山は海岸に程近い

えびす山は日本海からの風を弱めるための防風フェンスと一体化した感じになっています。


えびす山は小さな川の河口

五軒丁山は倉部川の河口にありましたが、えびす山も小さな川の河口に存在しています。
古墳というよりは、川が運んできた土砂と小高い丘につながりがあるように思われますね。
川の名前は、七ヶ用水4-6号支線というのが名称らしいです、人口的に作られた農業用水なんだと思われます。

川の流れと日本海から打ち寄せられる波、流されてきた砂。
複雑な力関係が働いている場所と言えそうですね。

えびす山に登ってみる

えびす山の標高は13mほどしかありませんので、30秒ほどで登頂できてしまいます。


えびす山からの白山連峰

こちらは、高三郎山、見越山、奈良岳、大笠山方面だと思われます。


これがえびす山からの白山連峰です。



五軒丁山からとほぼ同じような角度ですが、少し立体感が増して見える感じがします。
なるほど、白山信仰が、山、岩、丘を神聖視するという意味が理解できますね。
そこに登ると、神の姿が現れる。
まさに神聖な場所そのものです。



別の日に撮影した白山の姿です。
手前の枝は全て桜の木なので春になれば桜の花越しの白山が撮影できるはずです。
また一つリベンジの材料が増えましたね^^;w


えびす山には幻の三角点がある??

えびす山の幻の三角点を探しに後日赴きました。



えびす山は桜の名所

えびす山は松任海浜公園から歩いて散策するのに程よい距離で、海側を歩いても自転車専用道路があり、山側を歩くと桜並木が植林されており、桜の名所となっています。


植林された時期は比較的新しく、桜の木も老木は全く見かけません。


丘を越えて海に通じる石段が二箇所ほど設えられています。


三角点は藪で阻まれていた!

石段を登ったところ、左右とも道らしきものはありません。



防風フェンスのまわりはダンチク(暖竹)ヨシタケ(葦竹)が生い茂っており、一年を通して行手を阻んでいます。



挑むのであれば虫や蛇が少ない冬場だと思います^^;w
あえて推奨はしません。

幻のえびす山三角点

確かに三角点は存在しますが、そこがえびす山なのかどうかもよくわかりません。
一つだけ、地図からわかることがあります。


三角点のすぐ下には神社があります。
そこが相川蛭子神社だということです。
しかしながら、この蛭子神社はChatGPTが言うところの丘の上に存在していた神社ではないようです。
そのあたりは、追って説明します。


えびす山三角点からの景色

三角点から海側を望む。


山側はこんな感じでございます。


えびす山三角点からの白山連峰

藪を掻き分けてなんとか撮影したえびす山三角点からの白山です!
現在では屋根瓦とか電線とかでとても絵になったもんじゃありませんが。
これが、江戸時代の田園風景だったら?
さぞかし絵になったのではないでしょうか?w

ただし、三角点というのはごくごく近代の基準点であって、江戸時代とかにはそのような概念は存在しないわけで、やはり、えびす山の蛭子神社は最初の石票があった付近に存在したのではないかと考えます。

えびす山の蛭子神社は移転していた?

それでは、えびす山にあったとされている蛭子神社はどこに行ったのでしょうか?

二つの蛭子神社


先に触れた通り、相川町には蛭子神社があります。
しかしながら、もう一つ相川新町にも蛭子神社が存在していました。

相川新町の相川新蛭子神社

相川新町のはずれにその神社はありました。
何か灯台を思わせる常夜灯のようなものが見えます。


もしも、えびす山の上に蛭子神社が存在していたとすれば、そこには常夜灯が灯っており、灯台の役割を果たしていたのではないか?
しかも、海岸沿いの小高い丘の上であればその存在意義は極めて大きかったと言えますね。



鳥居には西宮と刻まれています

標柱が蛭子神社で鳥居の扁額には「西宮」と刻まれていました。


新蛭子神社の由緒

由緒を文字起こししてみました。

相川新蛏子神社

由緒

奈神

事代主命

蛭子神社は事代主命が祀られてある

創立の年月については社記に相川新蛭子

神社は海中より出現の神にして遠く千年

以前の由と三州奇談にあり

また一説には元仁元年大浦彦四郎なる者

あり相川浦に居をトし漁業を開始しまた

航海の業を営む

かって年余に亘りて

漁猟少く商始また不振にして浦人嘆声す

時に宗八郎と言ふ者あり彦四郎と謀り

摂州西の宮蛭子神を勧請鎮祭せるに漁

猟多く商業また盛んとなれり

以来同人を

浦役人となし数代その職を襲げり

而して近海に船舶の業を営むもの相川新の蛭子宮

として帰敬せさるなしとつたへている

明治維新まで隻河の西の宮こさまと呼ばれ

社記には寛保延享の頃諸河氾濫し本社

また水害を蒙り古文書日記等皆逸散

したりと而してその頃までは社殿海辺にあり

しも後に今の処に遷座したりとある

今の社殿は昭初七年総工費節万五六円也

で造営されたのである

神輿渡御の神事は遠く宝生年間に始まる

と社にあるが現在の神興は明治の初き年に

購入されたものである

山車なともその折の造営である

金刀比羅神は讃岐国琴平神社の分霊で

明治初年に航海保護のたの奉斉されたってある

平成二年十月吉日

初老記念奉納

宫司 鍋木芳樹

このように記されていました。
つまり、この神社は延享(1744年〜1747年)の頃までは海辺にあったのが水害にあって壊滅し現在の地に遷座されたとあります。

つまり、この神社こそがかつてえびす山に存在していた蛭子神社だと言えるのではないかと考えられるわけです。

かなり古いものと見られる龍神


狛犬もかなりの歴史を感じさせられます。

相川町の蛭子神社

一方、こちらは愛川町の蛭子神社です。
入り口には 村社 蛭子神社の標柱があります。


真新しい鳥居と常夜灯です。


夕日を常夜灯に入れてみた。


こちらの扁額は西宮ではなく蛭子神社と刻まれていました。


二の鳥居
こちらは一の鳥居と二の鳥居が設けられていました。
二の鳥居はかがまないとしめ縄に頭がぶつかるくらいの高さになっています。



石の龍神様も彫りが新しい感じですね。



拝殿と本殿が一体化したような作り。
日本海からの潮風から守れるような作りになっているものと思われます。

本殿の後ろから左に目をやるとえびす山三角点がすぐ近くに見えていました。
あそこに登れば御神様である白山の姿がよく見えたことでしょう。
かつては山頂に通じる道も存在していたのではないか??

えびす山の蛭子神社が常夜灯で火を灯し、海の航行の目印になっていたと想像されますが、白山という山は遠く朝鮮半島からの航行の目印として、巨大な灯台の役割を果たしていたのも事実なわけで、松任えびす山のこの二つの地点が、小高い丘であり白山の遥拝地としても信仰の神聖な土地として崇められてきたのではないかと想像されるわけであります。

Google Map

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