随神門

今回は大野湊神社と白山社についてです。
これは随神門と呼ばれる神門で、左右には武者の像が安置されておりました。
随神門狛犬

入ってすぐに体格の良い狛犬さんが出迎えてくれます。
こちらは阿形です。
愛想らしい表情ですね。

こちらが吽形。
一般的には阿形が獅子で、吽形でツノがあるものが犬とされています。
両方獅子に見えるけどな、、、、、。
違いがわかりません^^;w
大野湊神社の由緒

大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社の傍らに一祠を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
大野湊神社のHPより引用
この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています。
この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜りました。
しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています。
天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました。
以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。
明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました。昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました。
平成12年には壱千参百年祭を斎行し、現在でも海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。
拝殿
三の鳥居

こちらは三の鳥居。
金沢東警察署の傍にあるのが一の鳥居です。
二の鳥居は鎮守の森の入り口あたりにあります。
拝殿の狛犬

拝殿の狛犬。
こちらは阿形。
風化が激しく顔の表情が全くわかりません。
口を開けていることだけはわかりますが、、、、。

こちらが吽形。
こちらも風化が激しいですね。
拝殿

歴史から一部抜粋
神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に既にあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりとされる。
WikiPediaより引用
この合祀より大野郷(旧宮腰・現金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。
天平元年(729年)に「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を与えられる。
延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に記載を持つ加賀郡の式内社で、2133ある国幣小社のひとつである。
社号は佐那武大宮大明神または佐良嶽(さらだけ)明神。平安末期には大野湊神社という社号は消えかわって「佐那武社」の名が見えるようになる。
このころの当社は加賀馬場白山宮の有力末社となっていた(『白山之記』)。
現在、境内末社として佐那武白山神社を祀るのは、その名残りである。
興味深いことに平安時代末期には大野湊神社は加賀馬場白山宮の有力末社になっていたという話ですね。
白山信仰と湊とは深い関わりがあるように思います。
その昔、GPSは論外として羅針盤さえなかった時代、船の航行の目安となったのはこの海域では高く聳え立つ白き山=白山であったことは容易に想像出来ます。
白山はその昔、農耕の神であり、漁業者や船乗りたちにとっても、航路を導いてくれる神であったわけです。

名前の由来と関連
最初に猿田彦大神を勧請したという、陸奥の人佐那の名に由来するとされる。
WikiPediaより引用
民俗学的解釈では、佐那はさなぎ(鐸、類聚名義抄による)で製鉄との関連を意味し、奥州の金売によって製鉄技術が伝えられたことを示唆するという。
また、白山信仰との関連から、佐那武が祭神の猿田彦を指すという説もある。
また、佐那は佐良嶽という地名に由来するという説もある。
佐良嶽とは、現在の金沢市金石町あたり、犀川河口南岸にあったとされる砂丘地である。
大野湊神社はこの佐良嶽の麓、大野湊に元々鎮座していたが、度重なる嵐や大波で砂丘地が削られ、神社は海中へ没したといわれる。
佐良嶽の名も近世には既に失われてしまった。
犀川の河口南岸といば白山の撮影スポットとして以前紹介した地点と重なるように思われますね。
しかも今よりも小高い丘になっていたとすればさぞかし白山の眺望は宜しかったのではないかと想像できます。
また、佐良と言えば、旧吉野谷村に同名の集落がありそこには佐良早松神社という神社が現在でも存在しており、白山七社のうち中宮三社の一つに数えられております。
白山社

絵馬がかけられた小路の先に白山社がありました。
白山社狛犬

白山社の狛犬は比較的新しいものでした。
こちらは阿形。

こちらは獅子に見えますけど?

こちらの吽形の狛犬さんにはツノはないですね。
両方とも獅子に見える。
というか、違いがわかりません^^;

ふくよかで、凛々しいお顔です。
白山社の越前狛犬

大野港神社には複数の越前狛犬が鎮座されているというお話です。
これはそのうちの一対ですね。
見つめ合う二人??w
越前狛犬は越智山でもみましたが、白山信仰と関わりの深い場所でよく見かけますね。
白山宮扁額

白山宮の扁額です。
左から、「天満宮」「白山宮」「少彦名命」と読み取れます。
こちらの白山社では「菊理姫神」はお祀りしていないようです。
御祭神は「伊邪那岐命」「少彦名命」「天満宮」とされています。
荒魂社

荒魂社 御祭神 荒魂大巳貴神
荒魂社の越前狛犬

こちらにも越前狛犬が鎮座しております。
荒魂社の越前狛犬は二体とも正面を向いていました。

越前狛犬
https://sakichi-jinja.com/mask1.htmlより引用
越前狛犬と呼ばれる、笏谷石で造られた江戸時代の狛犬のサイズは小さなものでは 9センチ前後から大きいものは1メートルを超えるものまで造られていますが、 20~40cmのものが最も多く、当初から参道狛犬ではなく神殿 狛犬として作られたと考えられ、 江戸時代初期頃までは、狛犬が置かれる場所は、神殿内や脇の屋内におかれるのが常で、 参道に狛犬が置かれるようになるにはもう少し時代が下がってきてからのことであると、考える。
西宮

西宮社 御祭神 事代主神
このほかに末社としては春日社があり、御祭神としては、武甕槌命 経津主命 天兒屋根命 比咩大神が御まつりされているようです。
旧拝殿

旧拝殿は移築されて現在は展示館的な使われ方をしているようです。
建物としては神仏習合時代の様式に近いように見えます。
さて、大野湊神社旧遷座地の佐良嶽と呼ばれた場所は白山連峰を見渡せる遥拝ポイントだったと想像されるわけですが、現在の大野湊神社はどうなんでしょうか?
そもそも、私が大野湊神社に興味を持ったのは、この地点が白山の撮影ポイントとして条件が整っていたからで、白山宮との関わりがあったことは後で知った次第です。
それでは、大野湊神社から見える白山連峰の写真をご覧ください。
大野湊神社からの白山連峰

撮影日は2025年4月1日
加賀平野の向こうに白山連峰が見渡せます。

さすがに4月に入ると山は霞んでいますね。

RX100-M2の望遠だとこんな感じです。
超解像ズームでこの倍まではいけますけど。
過去にここで写した写真を漁って来ました。
これは素晴らしいですね!
等倍まで拡大できるようにFLICKRからの埋め込みです。
撮影日時は2013年02月28日でした。
大野湊神社所在地
大野湊神社 石川県金沢市寺中町ハ163番地
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