decnonet★イーハ陶房通信局
吉野幸雄
職業 陶芸家
略歴
1988年 陶芸工房イーハ陶房開設
1998年 でくのねっと☆イーハ陶房通信局 ホームページ開設
2005年 ブログ でくのぼうぷれす開設
でくのぼうぷれすの記事から一つご紹介して、挨拶といたします。
白山と私
posted on2018年06月09日22:49
bydecnonet
ROOTS!自分探しの旅を始めたのは1012年4月でした。
それは、中能登町にある熊野山圓光寺から始まります。
そこで目にしたものは?
自分の先祖と関わりあると思われる墓標でした。
無縁仏??
いや、そうではなさそう。私の先祖の本家は関東に移住したという話を聞いていましたので、おそらく遺骨はその地に移されて墓標だけがこの寺に残されたのだと推測します。
圓光寺の奥、山の方に進むとには井田の不動滝と呼ばれている滝があります。
現在でも滝行が行われている、修験者の修行の場とされていますが、私の先祖はこの滝で滝守りをしていたらしく、修験者たちの世話をあれこれしていたものと想像しています。
不動滝は、今から1300年前に、白山を開山したと言われる泰澄大師が開いたと伝えられています。
滝の入り口にはこのような案内板が設置されていました。
石動山修験者達の荒行の場として栄えたと、、、、。
自分探しの旅の第1章で目にしたのが、白山と泰澄大師だったのであります。
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その後、修験者達の足跡を追って石動山に赴いて見ました。
残雪の石動山を登って私が目にしたものは、、、、。
遥か彼方にそびえる白山の尊様でした。
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おそらく、修験者達は難行苦行を繰り返しながら、遥か彼方に見える泰澄大師が開山された白山に強い憧れを抱いていたに違いありません。
それから、白山を撮影することを自分のライフワークにしてみようという思いが芽生えて来たように思っています。
ここから、私の白山への旅が始まりました。
まずは白山撮影スポットを探す旅が始まります。
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白山市鳥越地区ここへは何回も行きましたね。
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そして、次第に標高の高い場所を目指すようになってゆきます。
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この辺りまでは一人で回っていましたが、流石に加賀禅定道を歩いた時は、これ以上山に踏み込むと危険だなと感じました。
初めのうちは、白山の写真が撮れればそれでよかったんですが、よりリアルな白山を求めるためには、標高が高い地点まで登らなければダメだと思うようになりました。
登山をしようという意識は全くなかったのですが、いつの間にか登山をしている自分に気がつき、山登りの知識と、仲間を持つことで、よりリアルな白山に近づくことができるんじゃないかと誰かに背中を押されるようにKHCに入会しました。
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そして、2014年7月、ついに登山靴を購入して人生で初の白山に挑むことになります。
ファーストアタックは単独だったので、無理はできませんからエコーラインから弥陀ヶ原で時間的に余裕がなくなり、観光新道で下山、登頂はかないませんでした。
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そして2014年10月、白山2ndアタックで、KHCのメンバーと共に人生初の白山登頂を経験できました。
無事に登頂できたのは、山の装備と山の仲間達のおかげです。
御前峰を登っている時に、私のDNAの中にいる先祖とその先祖と関わって来た修験者達が、小躍りして喜んでいる!そう感じました。
善い哉!
善い哉!!
自分探しの旅から始まり、そこで邂逅した先祖とそれにまつわる様々な人の遥か遠くに見える白山に憧れていた思い!その遥かな憧れが、わずか2年半で私を白山御前峰の山頂にまで運んでくれたんだと思っています。
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