白山七社 岩本神社

岩本神社 白山七社
岩本神社

本宮四社 第二王子 岩本宮

  • 本宮四社
    • 白山本宮(現・白山比咩神社:石川県白山市三宮町)
    • 金剱宮(きんけんぐう:石川県白山市鶴来)
    • 三宮(さんのみや:白山比咩神社の旧地ともされる)
    • 岩本宮(いわもとぐう / 現・岩本神社・岩根宮:石川県能美市など)

白山第二王子とは?(Google AIによる解答)

「白山第二王子(はくさんだいにおうじ)」とは、白山信仰(神仏習合)において、白山比咩神社(加賀馬場本宮)に属する「白山七社(あるいは白山六所王子)」の中で第二位に位置づけられていた神社、またはその神格のことです。

具体的には、現在の石川県能美市にある「岩本神社(旧称:岩本宮)」を指します。

白山第二王子の歴史と特徴は以下の通りです。

1. 該当する神社:岩本神社(岩本宮)

  • 位置づけ: 平安時代中期の文献『白山之記』などにおいて、金劔宮(つるぎのみや)が「白山第一王子」とされるのに対し、岩本宮(現在の岩本神社)が「白山第二王子」と位置づけられていました。なお、文献によっては「三宮(さんのみや)」を第二王子とする記述もあります。
  • 由緒: 仁明天皇の嘉祥元年(848年)の創建と伝えられています。

2. 「王子」の意味

ここでの「王子」は、単純に神様の「次男」という意味ではありません。熊野信仰の「熊野九十九王子」などと同様に、本宮(白山比咩神社)へ登拝する修験者や参拝者が、道中で祈願したり休息したりした重要な拠点(摂社・末社)を意味しています。

3. 神仏習合と源義経の伝承

  • 本地仏(仏教での姿): 神仏習合の時代、白山第二王子の本地仏は地蔵菩薩(または十一面観音)とされていました。当時は宝殿や拝殿だけでなく、講堂や鐘楼、多くの小社が立ち並ぶ大きなお寺のような境内でした。
  • 義経記の舞台: 軍記物語『義経記』には、兄の源頼朝から逃れて奥州平泉へ向かう途中の源義経が、この岩本の十一面観音(岩本宮)にこもり、お通夜(夜通しの祈願)をして武運を祈ったという有名なエピソードが残されています。

社号標(しゃごうひょう)

社号標は鳥居の脇ではなく鎮守の森の下に配置されています。


こちらの社号標も第一王子と同様に何者かによって意図的に削り取られているように見えました。
縣社や郷社のような社格は掲示されていません。


神社庁による解説

岩本神社

御祭神 高皇産霊神
鎮座地 能美市岩本町ホ27
氏子区域 能美市岩本町

由緒
岩根の宮とも称し、白山比咩神社摂社であった。
同社蔵の「境外摂社村社岩本神社明細書」に仁明天皇嘉祥元年の創建にて白山記中の白山七社のその一白山第二王子にして岩本宮宝殿拝殿講堂五間二面鐘楼水宮小社巨多也とある。
また義経記に「後鳥羽天皇文治2年2月10日源義経通夜す」とある。
明治5年村社に列格。

岩本神社
岩根の宮とも称し、白山比咩神社摂社であった。同社蔵の「境外摂社村社岩本神社明細書」に仁明天皇嘉祥元年の創建にて白山記中の白山七社のその一白山第二王子にして岩本宮宝殿拝殿講堂五間二面鐘楼水宮小社巨多也と

鳥居と参道

10段余りの石段を登ると鳥居があります。


石造りの鳥居

鳥居はそれほど大振りではなく、かと言って大人が手を伸ばしても届かないほどの高さはあります。
中央には扁額が掲げられています。

岩本神社の扁額

同じ素材の石造りの扁額には岩本神社と掲げられていました。


石畳の参道

鳥居から拝殿までは30mくらいでしょうか?
一対の石灯籠と狛犬が両脇に配置されています。

整備の行き届いた境内

此の地を訪れた人が口を揃えて言う言葉は、非常に整備が行き届いている。
ゴミの類はもちろん皆無、草むしりとかこまめに手入れされていて、地元の人々に愛され、大切にされている神様なのだとわかります。


石灯籠

日と月の一対の石灯籠が参道の左右に配置されています。


能美市指定文化財 史跡の案内板

能美市指定の文化財 史跡に指定されているようです。
文字起こししてみましょう。

能美市指定文化財 史跡

岩根宮

 岩根宮は白山比咩神社の白山七社(中宮、別宮、佐羅、金剣、下白山、三宮、岩根宮)に数えられ、鎌倉時代の文献『白山之記』には「岩本宮」として「宝殿・拝殿・講堂・鐘楼・水宮、小社巨多也、但奥宮に白鳥と云いて尼神也」とあるように広大神域に大小多くの建造物があったと想像される。

 室町時代の文献『大永神書』には「岩根宮仁明天皇御宇嘉祥元年戊辰(848)月日、本地十一面御垂迹僧形高皇産霊尊」と記され、本尊には十一面観音像が祠られている。
室町時代の文献『表経記」には「後鳥羽天皇 文治二年(1186)二月十日、源義経通夜す」とあり、義経一行が安宅関を越えた後、白山(本宮)を拝もうと来宮したが警戒が強いので岩根宮の十一面観音に詣でて、武運を祈願し通夜したとされている。

昭和39年5月1日指定

平成17年2月1日
能美市教育委員会

灯籠から鳥居の方を振り返るとこんな感じ。
とにかく境内の手入れが行き届いています。


狛犬

阿形

拝殿向かって右側が阿形。
石造りの狛犬は彩色されていてかなり新しい時代のものだと感じられます。


阿形は前足に玉を持っています。


彫も深く緻密で現代風の狛犬という風情です。


吽形

吽形は拝殿向かって左手に配置されています。


こちらは前足を子供にかけています。
みた感じ角は見当たらないように見えますね。


とてもふくよかな表情の狛犬です。


手水舎

手水社は狛犬のさらに奥に配置されています。


AI による概要

洗心(せんしん)とは、心を洗い清めること、または偏見・執着・欲望といった心の汚れや迷いをきれいに拭い去ることを指す言葉です。

石の龍神様

龍神様は石造りで顔だけになっています。
此ような形のものは、白山市のえびす山にまつわる蛭子神社で見た記憶があります。

松任 えびす山からの白山と蛭子神社
松任えびす山からの白山連峰の写真、かつてそこにあったと言われている蛭子神社の現在は?そして白山信仰との関係性とは??

昭和天皇お手播き杉

白山比咩神社にも昭和天皇お手播き杉が御神木として拝殿脇に移植されていましたが、こちらのものも同じ時に蒔かれた種から育ったものだと推測されます。

拝殿

拝殿は神仏集合時代の形式のもののように見えます。

扁額

扁額には「巖本神社」と書かれています。
明治以前は岩根宮、岩本宮と呼ばれていたと思われるので、明治以後のものなのだと推測されます。
緑色の素地に金色の文字という組み合わせは何か密教的な要素を感じさせられます。

ChatGPTによる解説

白山七社の一社として栄えた岩本神社

岩本神社 は、古くは**「岩根宮(いわねぐう)」または「岩本宮」**と呼ばれた、白山信仰に深く関わる神社です。

能美市公式サイト「岩根宮」 によると、岩本神社は白山比咩神社の「白山七社」の一社に数えられ、古くから信仰を集めてきました。

主な歴史的特徴は次のとおりです。

  • 創建の伝承: 嘉祥元年(848年)。
  • 古い呼称: 岩根宮・岩本宮。
  • 祭神: 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)。
  • 白山信仰との関係: 白山七社の一社であり、本宮四社の一社としても知られます。
  • 源義経との伝承: 『義経記』には、奥州へ向かう源義経一行が岩本の十一面観音に参詣したことが記されています。

こうした歴史を踏まえると、現在の拝殿は、単に地域の祭礼を行うための建物ではなく、長い歴史を持つ信仰の場を構成する重要な建築といえます。

神社を横からみるとこのような形をしています。
拝殿に比べると本殿らしき建物が少し貧相に感じられます。
あとで建て増ししたような感じですね。

不思議な石

拝殿脇には不思議な石が配置されています。


何だか生き物みたいな不思議な石です。


源義経通夜祈念の石碑

不思議な石の横には源義経通夜祈念と刻まれている石碑が立っていました。


五輪塔

神社の脇には五輪塔が並んでいます。


おそらく岩本神社と関わりのある方々のお墓なのでしょう。


岩本神社の名前の由来

ChatGPTに聞いてみた

能美市・岩本神社の名前の由来

石川県能美市岩本町に鎮座する 岩本神社 の名前の由来を調べると、興味深いことが分かります。

この神社は、古くは「岩根宮(いわねぐう)」と呼ばれ、後に「岩本宮」「岩本神社」という名称で知られるようになりました。 ただし、名称が変わった正確な時期や理由は、確認できた資料だけでは明らかではありません。

1.「岩本神社」という名前の由来

まず、現在の神社名と地名の関係に注目しましょう。

神社は、現在の能美市岩本町にあります。能美市の解説では、この地域にある神社を「岩本神社(岩本宮)」と紹介しています。「岩本」という名前については、次のように考えられます。

  • 岩(いわ):大きな岩や、信仰の対象となる岩を連想させる文字です。
  • 本(もと):根元や、ある場所の中心を表す文字です。

ただし、これらは漢字の意味から考えられる解釈であり、「岩本」という社名がこの意味から生まれたと断定できる史料は、今回確認できませんでした。

したがって、現在のところは、神社名と地域名が結び付いていることは確認できますが、「岩本」という名称の語源そのものは未確定とするのが適切です。

2.古い名前は「岩根宮」だった

能美市の公式解説によると、岩本神社は古くから「岩根宮(いわねのみや・いわねぐう)」と呼ばれていました。白山比咩神社の白山七社の一社に数えられ、白山信仰の重要な拠点だったとされています。「岩根」という言葉は、古典的な日本語では、岩の根元や大地に根を張った岩を連想させます。

神社の古い名称に「岩」の字が使われていることから、岩や山岳に関わる信仰とのつながりを想像したくなります。

しかし、ここでは注意が必要です。

「岩根宮」という名称が、特定の岩を祀っていたことに由来するのかどうかは、名称だけでは判断できません。

岩本神社の周辺には、天狗壁と呼ばれる岩壁があり、神社の起源に関する伝承とも関係しています。

3.天狗壁の頂上にあったという伝承

能美市の公式解説には、岩本神社の起源について、興味深い伝承が紹介されています。

それによると、もともとは手取川を隔ててそびえる天狗壁の頂上に神社があり、現在の岩本神社はその観音堂だったという伝承があります。

この伝承を整理すると、次のようになります。

  1. 天狗壁の頂上に、信仰の対象となる場所があったと伝えられる。
  2. 現在の岩本神社の場所は、かつて観音堂だったとされる。
  3. 古くから岩根宮と呼ばれ、白山信仰に関わる神社として発展した。

ただし、これはあくまで伝承に基づく説明です。神社が実際にいつ、どこから移されたのかについては、史料による確認が必要です。

また、天狗壁の岩そのものが「岩根宮」という名前の直接の由来だったと、公式資料が明言しているわけではありません。

4.「岩本宮」と「岩根宮」はどう違うのか?

この二つの名称は、岩本神社の歴史を理解するうえで重要です。

名称特徴
岩根宮古くから使われていたとされる名称
岩本宮白山七社の一社として記録される名称
岩本神社現在の神社名
巖本神社拝殿の扁額に記された表記

鎌倉時代の文献『白山之記』には、岩本宮に関する記述があり、宝殿・拝殿・講堂・鐘楼・水宮など、多数の建造物が存在したことが記されています。能美市の公式解説でも、この記録が紹介されています。

このことから、岩本神社は中世にはすでに、複数の建物を備えた重要な宗教施設だったと考えられます。

ただし、「岩根宮」から「岩本宮」へ、さらに「岩本神社」へと変わった経緯については、現在確認できる資料だけでは詳しく説明できません。

5.名前の由来を考えるうえで重要な白山信仰

岩本神社の歴史を理解するには、白山信仰との関係も欠かせません。

岩本神社は白山七社の一社で、祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)です。古くから白山信仰に関わる重要な神社として信仰を集めてきました。

また、室町時代の文献『大永神書』には、岩根宮と十一面観音、高皇産霊尊に関する記述があります。

これは、かつての岩本神社で、神道の神と仏教の観音菩薩が結び付いた信仰が行われていたことを示す重要な手がかりです。

岩本神社の名称の変遷も、こうした神仏習合や白山信仰の歴史の中で考えていく必要があります。


まとめ:岩本神社の名前の由来は?

現在確認できる資料から、次のことが分かります。

  • 古くは「岩根宮」と呼ばれていた。
  • 「岩本宮」という名称も、白山七社の歴史の中で使われている。
  • 現在は「岩本神社」と呼ばれ、拝殿の扁額には「巖本神社」と記されている。
  • 天狗壁の頂上に起源があったという伝承が残っている。
  • ただし、「岩本」「岩根」という名前の語源や、名称が変化した正確な時期・理由は、まだ確定できない。

私が特に興味深いと考えるのは、「岩根宮」という古い名称と、天狗壁にまつわる伝承の関係です。

以上がChatGPTによる岩本神社の名前の由来に関する解説です。
天狗壁が重要な手がかりであることは明白なので、次回は天狗壁に向かいます。


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