旧加賀一の宮駅舎 古都公園 白山比咩神社旧遷座地

古宮公園 白山比咩神社
古宮公園

北陸鉄道旧加賀一の宮駅

現在北陸鉄道石川線は鶴来駅が終点になっていますが、以前は白山比咩神社近くの加賀一の宮駅まで延びていました。

AIによる解説

北陸鉄道石川線の「一の宮駅」は正式名称を加賀一の宮駅(かがいちのみやえき)といい、2009年11月に廃止された終着駅です。 

駅の概要と歴史

  • 所在地: 石川県白山市白山町
  • 開業: 1927年(昭和2年)、当時は「神社前」駅として開業
  • 廃止: 2009年11月1日に鶴来駅〜加賀一の宮間が廃止され、同時に駅も廃止
  • 特徴: 白山比咩神社の参道登り口に位置し、神社建築を取り入れた趣のある木造駅舎は国の登録有形文化財に登録されています。

駅舎内部

現在は無料休憩所として自由に見学できるようになっています。


内部に自動販売機が設置されていました。


当時の待合室の椅子もそのまま残されていました。

駅舎外観

駅舎側面

駅舎裏面

加賀一の宮駅の看板


古宮公園

古宮公園の案内板

公園の外観図です。

古宮公園側の駐車場から公園へと向かいます。


手取川七ヶ用水記念碑

なにやら大きな石碑が見えてきました。
左から二君紀功碑 竣工記念碑 顕彰碑 です。
手取川七ヶ用水に関する記念碑のようです。

手取川七ヶ用水ってなに? 手取川七ヶ用水土地改良区 HPより

 田んぼや畑はもちろん、みんなの住んでいる地域(白山市を中心に野々市町や川北町、金沢市の一部)の小さな川に流れる水は、大きな川、手取川(てどりがわ)から流れてきます。

 七ヶ用水の名前は、手取川から取り入れる七つの用水があり、明治36年にその取入口が1つになったときに手取川七ヶ用水というようになりました。

 手取川は暴(あば)れ川と言われ、雨が降るとすぐに洪水になり、日照りが続くと水がなくなっていました。

その洪水によって、7回流れる場所を変えたと言われており、その川の跡を用水として守り継(つ)がれてきました。

 洪水でも壊れにくく、日照りでも水が流れてくるような良い取入口(とりいれぐち)を造(つく)る場所が無いかと探していた枝 権兵衛(えだ ごんべえ)さんは、いつも水がたまっている、安久濤ヶ淵(あくどがぶち)を選びました。

 岩盤(がんばん)をくりぬき、トンネルを掘って富樫(とがし)用水の取入口を造(つく)りました。

 枝 権兵衛(えだ ごんべえ)のトンネルに沿って七ヶ用水全部の取入口を造(つく)ったので、枝 権兵衛(えだ ごんべえ)は七ヶ用水の父と言われるようになりました。

七ヶ用水ってなに?|手取川七ヶ用水土地改良区
手取川七ヶ用水土地改良区は、手取川を水源とする地域用水の管理を通して、地域の人々の暮らしや農業を支えています。

あの波切不動明王の摩崖仏を爆破しようとしたのは、この用水の工事だったわけです。

白山比咩神社 旧鎮座地碑

さらに進むと白山比咩神社旧遷座地の碑が見えてきます。

安久涛の森

安久涛の森は716年から1480年まで白山本宮が鎮座していた場所で、旧鎮座地の碑があります。

白山比咩神社旧御鎮座地と刻まれています。


令和五年十一月建立と刻まれていました。


水戸明神社

旧鎮座地には新しい鳥居がありました。


鳥居には扁額が掲げられています。

水戸明神と刻まれていました。

水戸神社について以前は白山比咩神社のHPに記載されていましたが、現在ではデッドリンクになっています。
以前の記述はこのようなものでした。

この白山本宮の末社の1つに三戸明神(みとみょうじん)があり、久しく絶えていたのを、昭和29年に手取川七ヶ用水土地改良区が再興したのであります。
三戸(みと)は水戸(みと)・水門(みと)、すなわち水の出入りするところ、或いは水の取入口などに設けられた水門(すいもん)を指し、そのミト口(ぐち)の守護神と仰がれたのが三戸明神(みとみょうじん)であります。
明治26年、7つの取水口を1つにした七ヶ用水の合口工事が完成し、古宮址の地下を隧道(トンネル)によって導水し、広大な扇状地に網の目の如く用水が行き渡る事となったのであります。

もう一つの旧鎮座地碑

水戸神社の近くの木々に埋もれている場所にもう一つの石柱があります。
明治三十六年六月建立と刻まれています。
かなり明瞭に刻まれていますね。

こちらの面には何か書かれていた形跡がありますが全く判読できません。

駅舎から見える方向にはこのように刻まれています。
白山比咩神社?御鎮座地とありますが、?の部分が旧ではないように見えますが、判読不能です。


何者かに意図的に削りとられたように見えますね。
白山比咩神社の神様の部分には一切手をつけずに、ここが元々神仏習合の信仰の聖地であったことを否定しているように感じられます。

古木の森

この公園には相当樹齢が古そうな木がいくつも見受けられます。


神域というのか?
特別な場所に感じられます。


古宮遺跡

古都公園には何やら不思議なガラスのピラミッドのようなものがあります。
これは古宮遺跡の発掘の様子を保存しているもののようです。
発掘の様子に関しては岐阜女子大学のデジタルアーカイブに資料が残されていました。

岐阜女子大学 デジタルアーカイブ研究所 古宮遺跡

古宮遺跡

古宮遺跡は、手取川右岸の安久濤ヶ淵(あくどがふち)と呼ばれる河岸段丘上にある。
古宮の名称の由来は、文明12年(1480)ま加賀国の一ノ宮であった白山本宮があったことによる。
白山本宮は、文明12年に火災により、かつてから約800m南東にある三ノ宮と合祀し現在にいたる。
安久涛ヶ渕は、手取川右岸の瀞(とろ)の景観を示し、白山市指定名勝に指定されている。
安久濤ヶ淵は、近世期、「空殿」ともかかれ、白山本宮が移転した事を物がっている。
遺跡の北側には、昭和7年まで対岸を結ぶ舟渡しがあった。
義経記には、東国落ちする義経と弁慶がこの舟渡しを利用し、白山本宮に参詣したことが描かれている。
現在、遺跡地は白山市が管理する古宮公園となっている。
公園の下には、七ヶ用水隧道があり、幕末から明治36年に至って開鑿された隧道の紹介と開鑿にかかわった人物の顕彰碑が建立されている。
公園の中央には、白山比咩神社が管理する水戸明神の社祠があり、秋の七ヶ用水と白山比咩神社の氏子により祭祀が行われている。
水戸明神は、高さ1.5m直径5mの岩の上に立っている。
平成7年(1995年)と平成30年(2018)に発掘調査が行われ、10世紀中頃から16世紀後半にかけての建物群跡が発見されている。
平成7年の発掘調査では、約4.5m四方で深さ80㎝の土坑に祭祀で使用されたとみられる素焼きのかわらけ約1700枚を埋納した遺構が発見され、古宮公園内に移設し復元展示されている。

特色 

白山信仰遺跡、神社跡として基調な歴史遺産である。

古宮遺跡 – デジタルアーカイブ研究所 – 岐阜女子大学
古宮遺跡古宮遺跡は、手取川右岸の安久濤ヶ淵(あくどがふち)と呼ばれる河岸段丘上にある。古宮の名称の由来は、文明12年(1480)ま加賀国の一ノ宮であった白山本宮があったことによる。白山本宮は、文明12年に火災により、かつてから約800m南東…

発掘されたカワラケの様子

ガラスで保護されたピラミッド内には発掘された当時のカワラケの様子がそのままの形で保存されていました。
これらの土器(カワラケ)は神事において使用されていたようです。

安久濤ヶ淵

この案内図によれば、第二取入れ口と第三取入れ口の間あたりが安久濤ヶ淵になるようです。


対岸から見てみましょう。

この辺りが安久濤ヶ淵なのではないかと思われます。
伝承によれば、泰澄大師がこの場所で白馬に跨った女神様に夢で出会ったとされています。
これはあくまでも言い伝えであり、個人的には平泉寺白山神社の御手洗池の言い伝えの方により説得力を感じます。

平泉寺白山神社 御手洗池
平泉寺白山神社御手洗池について写真を交えながら解説しています。神泉、泰澄大師お手植えの松についても解説しています。


一の宮の意味

さて、加賀一の宮は加賀国のなかで一の宮だという意味合いと、白山七社の中の一の宮であるということができます。


この地(安久濤の森)こそが白山比咩神社の一の宮である。
なぜならば、現在の白山比咩神社の所在地は白山市三宮町二105−1であり、その住所が示す通り元々三の宮が置かれていた場所です。
本宮が火災で焼けてしまった後三の宮を間借りして再建されますが、そのまま本宮が三の宮の地に居座ってしまったということです。

白山七社について

三の宮五輪塔
三の宮五輪塔

白山七社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/16 14:03 UTC 版)

白山七社(はくさんしちしゃ)は、石川県白山市にある白山信仰関係7社の総称。 

一覧

  • 本宮四社
    • 白山本宮 (はくさんほんぐう) – 現在の白山比咩神社(白山市三宮町)。現在の古宮公園(白山市白山町)の地にあったが、文明12年(1480年)に大火により全焼して、三宮(白山市三宮町)の地に遷座。続く加賀一向一揆の戦乱で白山衆徒は廃絶し、社殿は再興できずその後100年間あまり荒廃した。白山本宮の社殿堂塔復興は、安土桃山時代に綸旨を受けた前田利家により行われた。その後、神仏分離令や第二次世界大戦を経験し、白山比咩神社は白山神社の総本社として神社本庁の別表神社となり、現在に至る。
    • 金剱宮 (きんけんぐう、白山市鶴来日詰町)
    • 三宮 (さんのみや) – 現在の白山比咩神社鎮座地にもとあった神社
    • 岩本宮 (いわもとぐう) – 現在の岩本神社(能美市岩本町)
  • 中宮三社
    • 中宮 (ちゅうぐう) – 笥笠中宮神社(白山市中宮)
    • 佐羅宮 (さらのみや) – 佐羅早松神社(白山市佐良)
    • 別宮(べっくう) – 白山別宮神社(白山市別宮町)

平安時代に白山登拝の起点の馬場(ばんば)が加賀・越前・美濃に設けられた。加賀の馬場では「本宮四社」とされる白山本宮・金剱宮・三宮・岩本宮と「中宮三社」とされる中宮・佐羅宮・別宮の総称として、日吉七社に倣い「白山七社」の語が用いられた。 

また、中宮三社と中宮八院(護国寺、昌隆寺、松谷寺、蓮花寺、善興寺、長寛寺、涌泉寺、隆明寺)を併せて「三社八院」と総称する。 

白山七社は、白山の禅定道の一つである加賀禅定道の中心的神社となった。 

白山本宮の神宮寺(別当寺)の長である長吏(ちょうり)は、他の6社の長吏をまとめ惣長吏を兼ね、馬場を統括した。

白山七社とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
「白山七社」の意味は読み方:はくさんしちしゃ白山比咩(しらやまひめ)神社の本社とその摂社・末社など七社の古称のこと。Weblio国語辞典では「白山七社」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。

上記の解説のように、白山七社は本宮四社と別宮三社に区別され、本宮四社は白山本宮、金剱宮、三宮、岩本宮の四社であり、ここでいう白山本宮はこの古都公園の安久濤の森をさしているわけです。

安久濤の森と泰澄大師

白山本宮が安久濤の森に遷座されていた期間は霊亀2年(西暦716年)から文明12年(1480年)10月16日に本殿炎上、御神体を三宮に奉遷(荘厳講中記録)するまででその期間は700年以上にわたります。

泰澄大師が白山を開山されたのが養老元年6月18日(西暦717年)ですから、その時はこちらの安久濤の森に白山本宮が存在していたことになります。

ですから、安久濤の森は単に白山比咩神社がかつて存在していた地であること以上に、いまだに白山七社の本宮の地であり、泰澄大師の時代に遷座していた地ということでその意味合いは深いと言えるでしょう。

まとめ

白山比咩神社旧鎮座地、古都公園ですが、この地は様々な要素が重なり合ったいわゆるパワースポットと見ることができます。

安久濤の森を対岸から見てみると、手前が安久濤ヶ淵であり泰澄大師が白馬に乗った女神様と出会った場所です。
そして、背後の山は船岡山であり、白山信仰発祥の聖地です。

この地は700年以上にわたって白山信仰の一の宮として君臨し、泰澄大師が実際にこの地を訪れた際に白山本宮として鎮座していたのもこの地であります。

白山信仰の重要な要素として、水による浄めと、水の恵みが上げられるわけですが、この場所は七ヶ用水の起点として、手取川扇状地全域の水田に水の恵みをもたらし、そこに暮らす人々の生活を支えている。

いくつもの要素がこの地に集約されていると見ることができます。
まさに、白山本宮の鎮座地に相応しい場所。
それが、古都公園 安久濤の森なのです。

古都公園の案内板

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