津幡町河合谷地区 御山神社

御山神社 白山信仰の光と影
御山神社

津幡町森林公園三国園地近くにある御山神社

一の鳥居と標柱(しめばしら)

 現在興津から三国山へ至る道は関係者かキャンプ場利用者のみ通行可能となっています。
三国山に行きたい場合でも、キャンプ場内を通過する必要があり、利用者が事故に遭うことを避けるための措置だと思われます。
そのため、三国山へ向かうには、国道471号線から三国山キャンプ場へ向かう道を登ってくるのが一般的です。
御山神社は三国山へ向かう途中にあり、駐車場も5〜6台は停められるスペースがあります。


御山神社参道

石造の鳥居には御山神社の扁額が掲げられています。



駐車場は手水舎の手前右側

瓦屋根の立派な手水舎が見えますが、こちらの手前右側に少し広い駐車可能なスペースがあります。
駐車場は舗装されていないので、雨が降るとぬかるむ可能性ありです。


手水舎

参道右側に手水舎があります。


青銅製の龍神さまが配置されていました。
お祭りの日以外は水は流れていないようです。


御山神社ブナ社叢林の案内板

石川の森50選に選ばれたブナの森があります。
天然記念物に指定されており、標高240mという低山のブナ林は非常に珍しいとのこと。


神社への石段

神社に至る参道の終盤は非常に綺麗な石段を登ってゆきます。


御神木はブナの木

二の鳥居の右脇には立派なブナの木があります。


二の鳥居

二の鳥居をくぐると拝殿が見えてきます。


一対の狛犬が出迎えてくれました。


津幡町の神社と祭神の分析一河合谷地区の神社より参照

御山神社 旧村社 下河合ツの六〇

主祭神

伊邪那美命 いざなみのみこと

天照大神 あまてらすのおおみかみ

宇加野御玉命 うかのみたまのみこと

伊波比古主命 いわいひこぬしのみこと

応神天皇 おうじんてんのう

誉田別命 ほんだわけのみこと

由緒

昔の社は加越能の国境三国峠に鎮座,それが天正年間の兵乱で破却,その後座主という人が今の尾山に移し祀った.古くは赤倉権現とよばれ,下河合,上河合,牛首,木ノ窪,瓜生の神明社,牛首の白山社,瓜生の八幡社を合併し,村社御山神社と称す.

(石川県神社誌)

 御山神社.御山神社は下河合に在り,村社にして誉田別命,伊邪那岐命,伊邪那美命,天照大神,応神天皇,伊波比主命,宇加野御玉命を祀る,社伝によれば僧空海の来りて教を布きし時,三國嶺に上りて霊異を見,一祠を立てて加越能三州の鎮護神とせり,当時は七堂伽藍の制にして僧坊棟を列ね,本郡(羽咋郡のこと)黒川(かほく市黒川)及び加賀河北郡能瀬及び横山,越中砺波郡桜町處に華表(神社の鳥居)を建て,三州の守護にして新に任に就くもの必ず奉幣して国土の安寧を祈れりといふ,

 天正十二年佐々成政末森の戦に敗れ,加賀を経て退くや,途能瀬の華表前に於て落馬せしかば,大に怒りて火を其の堂塔に放てり,其後居村の座主といふもの,神体を該村字御山といふ所に下し,下河合,上河合,瓜生,牛首四ケ村の総社となりしが,寶暦年中村社改正の際,各村別に産土神を祭祀することとなれり,

 然るに明治四十年一月本社へ下河合村社伯耆社,上河合村社神明社,牛首村社白山社,瓜生村社八幡社,下河合無格社稲荷社の五社を合併し,村社御山神社と改称すべき旨許可せられ,同年九月合併済みとなれり,明治四十一年四月八日神饌幣帛料供進を指定せらる,

(羽咋郡誌)

https://kahokugata.sakura.ne.jp/pdf/sougouken/s14_1.pdf

ブナの原生林

この森が石川の森50選に認定されたブナの原生林です。


ChatGPTによる解説

 御山神社 は、石川県河北郡津幡町下河合に鎮座する神社で、河合谷(かわいだに)地区の総鎮守的な存在です。牛首・瓜生・上河合・木窪・下河合の各集落の氏神として信仰されてきました。

御祭神

御山神社には複数の神々が祀られています。

  • 伊邪那美命(いざなみのみこと)
  • 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
  • 伊波比主命(いわいぬしのみこと)
  • 天照大神(あまてらすおおみかみ)
  • 応神天皇(おうじんてんのう)
  • 誉田別命(ほんだわけのみこと)

農業・五穀豊穣・地域守護・国家安泰などの性格をもつ神々が合祀されています。

創建伝承と歴史

社伝によれば、もともとは加賀・越中・能登の三国を守護する神として、倶利伽羅峠に近い三国峠付近に祀られていたと伝えられています。

しかし天正年間(1573~1592)の戦乱で社殿が焼失し、その後、加賀藩重臣である奥村氏ゆかりの人物「奥村氷福」が再建したとされます。さらに後世に現在の尾山(おやま)の地へ遷座したと伝えられています。

江戸時代の宝暦4年(1754)には村ごとに鎮守が整備され、明治40年(1907)には周辺の6社を合祀して現在の「御山神社」となりました。現在の社殿は平成4年(1992)に改築されたものです。

河合谷と御山神社

御山神社がある河合谷地区は、津幡町東部の山間地帯です。倶利伽羅峠や加賀・越中の国境地帯に近く、古くから交通や軍事上の重要地点でした。

「御山」という社名も、単なる村の鎮守というより、山岳信仰や広域守護神としての性格を残している可能性があります。社伝に「加越能三州の鎮護の神」とある点は非常に興味深く、白山信仰や峠の神の信仰と何らかの関係を持っていた可能性も考えられます。

御山神社の扁額

実に立派な扁額が掲げられています。


狛犬

阿形

阿形は玉を持っています。
神社の建物も、狛犬も比較的新しいものです。


吽形


こちらは子供を抱えています。


御山神社由緒の石板

御山神社御由猪

鎮座地 石川県河北郡津幡町字下河合ツの六〇番地

境内地 三、六一一坪

御祭神

誉田別命(応神天皇)(下河合、旧御山社)

天照大神(上河合、旧神明社)

伊邪那美命(牛首及び木ノ室、田白山社)

応神天皇(瓜生、旧八幡社)

仲破化生统 (经津主金(下河合、旧伯考社)

伊波比古主命(倉縮魂金)(下河合旧稲荷社)

御由緒

当社は、その昔、加越能三か国鎮護のため、三国峠に神社殿があったが、天正十二年(一五八四)未森合戦の際に焼笑したため、座主という人が御希梅きこの尾山の地に選し祀ったと伝えられる。当の社殿海建後も、当社は、下河合、上河合、瓜生、(半首・米ノ達の三が材の産土神として崇敬された。

星啓年間(一七五ー~一七六回)村社改定の折、それぞれの地区に&殿を建て氏神を祀ることになったが、当社は、その総社として赤倉山権現の名で信仰されてきた。明治十三年(一八八〇)御山社と改新、明治日十年(一九〇七)他の五社と合併して、村社御山神社となった。

昭和六十二年(一九八七)社殿の改菜が決まり、氏子、敬者は一丸となって聞い仰心と本数の誠を味け、平成四年(一九九二)九月六日、新社殿が数分、慶賀祭が盛大に斎行された。

初器・秋祭り、九月十五日、神輿は地区年番で渡却するが。若地区の子舞の脱演は壮観である。

出業、海抜二四〇メートルという地に群生しているブナ・イヌシデの天然林は異童で、平成二年には、県文化財(天然記念物)に指定された。

平成六年九月十日 宮司

本納御山神社氏子総代一同

二の鳥居を振り返る。

御山神社は三国山への登山口の一つになっており、三国山は白山信仰と縁が深いと言われております。
その昔は女人禁制の修験道の山だったとか?
三国山の山頂には権現さまが今でも祀られていますが、以前はもっと大きなお社だったらしく、それが佐々成政により焼き討ちにあった際、御神体を移したのがこの御山神社だと言われております。

現在は麓のいくつかの神社を合祀して一つの御山神社となっているようです。
今回の目的はこの神社ではなく三国山であり、あくまでもこちらのお社は登山口ということで紹介しています。

次回は御山神社から三国山へと進んで参ります。

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