白山比咩神社の境内マップにもその存在が記されている
白山比咩神社の境内マップに、三宮の五輪塔や河濯尊大権現は掲載されていません。
神仏習合時代の形跡は残さない方針なのかと思われますが、どういうわけか?
このかたがり地蔵は境内マップに掲載されています。

(25)かたがり地蔵
泰澄の作ともいわれる地蔵菩薩。最初の鎮座地である舟岡山にあった磨崖仏で、明治時代になって現在の場所に移されました。箸を奉納して祈願すれば、歯の病気に霊験があると伝わります。
境内マップ | 白山比咩神社白山比咩神社は、全国三千余社の白山神社の総本宮であり、加賀の国の一ノ宮として篤い崇敬を受け、「白山さん」と呼ばれて親しまれています。初詣、七五三。
瓦屋根の小さなお堂

かたがり地蔵の案内板

このような案内板が併設されていました。
かたがり地蔵
もと舟岡山の磨崖仏で明治にこの地に移され、傾いた状態だったのでこの名が付きました。
右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、像の左下には五輪塔が陽刻されています。
16世紀初めの「白山禅頂私記」にも書かれています。環境庁・石川県
岐阜女子大学 デジタルアーカイブ研究所の解説

かたがり地蔵
白山町地内の県道沿いに安置されている。
凝灰岩製の地蔵菩薩坐像。形態は半跏趺像。
明治32年までは、不動明王像とならんで鶴来今町の舟岡山の麓の岩塊に掘られていた磨崖仏。
七ヶ用水造成工事により、岩から切りはがされ現在の場所へ安置された。
もともと岩塊にかたがって彫られていたため「かたがり地蔵」の名称となった。
切とられた岩は、高さ約2.7m、幅約2.7m、厚さ約1.1mを測る。
像は高さ1.4m、幅1.05m、厚さ0.65mを測る。
彫り込みの深さは、最深部で25㎝を測る。
右手に錫杖を持つ。
顔部は岩の性質から表現されていない。
像の向かって右側には長方形の凹みと陽刻された小さな五輪塔群がみられる。いずれも像の掘方の外側にあり、後に刻まれたものと見られる。
上段のものは左腕の横に1基あり、高さ43㎝を測る。
中段には、はっきり確認できるものが2基あり、高さ30㎝を測る。
中段には、はっきり確認できるものが2基あり、高さ30㎝を測る。
さらに像寄りに不整形のものが1基見えるが、五輪塔か否か判断しがたい。
下段は像の足下に6基ある。
中央に4基、そして1基分の空間をおいてむかって右に2基ある。
塔の規模は上段のものが最も大きく、下へ行くに従って小さくなっている。
形状を見ると地輪は低く、水輪は扁平、火輪は縦長で軒反りが顕著な特徴が窺える。
刻出は室町時代後期とみられる。
この地蔵は、小石を供ええると足の病気が治り、箸を供えると歯痛が治ると言い伝えがあり、人々の信仰の対象となっている。
また、白山を開山した泰澄が自らの姿を彫った像ともされ「泰澄像」としても親しまれている。 かたがり地蔵 – デジタルアーカイブ研究所 – 岐阜女子大学かたがり地蔵白山町地内の県道沿いに安置されている。凝灰岩製の地蔵菩薩坐像。形態は半跏趺像。明治32年までは、不動明王像とならんで鶴来今町の舟岡山の麓の岩塊に掘られていた磨崖仏。七ヶ用水造成工事により、岩から切りはがされ現在の場所へ安置された…
いいじ金沢による解説

【まちネタ】道端にあるスゴイ秘仏!しらやまさん近くの「かたがり地蔵」
旧加賀一の宮駅前の道を山に向かって走っていると、左手の道路脇にお地蔵さんが見えてきます。
泰澄の作ともいわれる「かたがり地蔵」です。
最初の鎮座地である舟岡山にあった磨崖仏で、明治時代になって現在の場所に移されました。
左の肩が傾いているため、この名が付けられたそう。
箸を奉納して祈願すれば、歯の病気に霊験があると伝わります。 【まちネタ】道端にあるスゴイ秘仏!しらやまさん近くの「かたがり地蔵」旧加賀一の宮駅前の道を山に向かって走っていると、左手の道路…
上の二つの解説ではかたがりに関する項目に違いが見られます。
ChatGPTによる解説
鶴来町の「かたがり地蔵」は、現在の白山市白山町に残る**大変珍しい石造の磨崖仏(まがいぶつ)**です。白山信仰と鶴来の古い仏教文化を考えるうえでも興味深い石仏です。
かたがり地蔵
1.「かたがり地蔵」とは
かたがり地蔵は、凝灰岩の大きな岩塊に彫られた地蔵菩薩像です。
現在は岩から切り離された状態で安置されていますが、もともとは鶴来の舟岡山の山裾にある岩壁そのものに彫刻されていた磨崖仏でした。明治時代の手取川七ヶ用水の工事によって岩壁から切り離され、現在地に移されたとされています。
現在地は白山市白山町レ191-18付近です。
2.なぜ「かたがり」という名前なのか
面白いのが、この名前の由来です。
もともとの岩壁が傾斜していたため、そこに彫られた地蔵も岩に沿って傾いて見えたことから、「かたがり地蔵」と呼ばれるようになったと伝えられています。
つまり、
「かたがった(傾いた)岩に彫られた地蔵」
という、地元で生まれた呼び名と考えると分かりやすいです。
3.どんな姿をしているのか
現在残っている岩塊は、およそ
- 高さ:約2.7m
- 幅:約2.7m
- 厚さ:約1.1m
というかなり大きなものです。
その中央に、高さ約1.4mの地蔵菩薩像が彫られています。右手には**錫杖(しゃくじょう)**を持っているとされます。顔の部分は岩質のため、はっきりした表現が残っていません。
さらに地蔵の脇には、小さな五輪塔が陽刻された部分もあります。
ここは、以前お尋ねになった鶴来・三宮周辺の五輪塔と関連して見ると、とても興味深いところです。
4.実は「泰澄が彫った」という伝承があります
かたがり地蔵には、
「白山を開いた泰澄大師が自ら彫った」
という地元の伝承があります。
ただし、これはあくまで伝承です。
研究上は、現在の像の様式などから、泰澄(7~8世紀)の時代まで遡らせることには慎重な見方があります。室町時代の石仏と見る説などもあり、制作年代については確定していません。
ここは非常に重要で、
「泰澄作と伝えられている」=「泰澄が実際に彫ったことが確認されている」
ではありません。
5.「妙法の石室」との関係
かたがり地蔵が特に面白いのは、もともとの場所が**舟岡山の麓にあった岩窟(石室)**だったことです。
江戸時代の地誌『加賀志徴』には、この場所について、岩窟の岩に仏像が彫られており、その仏像が「かたがり」しているので「カタガリ地蔵」と呼ばれている、という趣旨の記述があります。さらに、そこを泰澄が修行した場所とする伝承も記されています。
つまり、単なる「道端のお地蔵さん」ではなく、
舟岡山 → 白山本宮 → 泰澄 → 白山信仰
という鶴来の古い宗教史の中に位置づけられる石仏なのです。
6.歯痛にも霊験があるとされる
かたがり地蔵には、昔から歯の病気・歯痛に霊験があるという信仰があります。石川の観光案内でも「歯の病気に霊験あり」と紹介されています。
また、地元の伝承では、地蔵に小石を奉納すると足の怪我に効き、箸を奉納すると歯痛が治るとも伝えられています。
これは、地蔵菩薩が庶民の生活に密着した**「身近な救済仏」**として信仰されてきたことを示しています。
7.私が特に注目したいのは「舟岡山」との関係です
かたがり地蔵を理解するには、現在の場所だけを見るより、
舟岡山の麓にあった時代
を考えることが重要です。
舟岡山は、白山比咩神社の古い鎮座地の一つとされる場所です。そして、かたがり地蔵はその舟岡山の麓の岩壁に彫られていました。
さらに、かたがり地蔵と同じ岩壁には、波切不動明王も彫られていたとされています。明治期の七ヶ用水工事によって、こちらも岩壁から切り離されました。
したがって、
舟岡山
↓
白山本宮の古い信仰
↓
泰澄伝承
↓
磨崖仏(かたがり地蔵・波切不動)
↓
手取川・七ヶ用水
↓
現在地へ移設という、非常に興味深い歴史の流れを見ることができます。
まとめ
項目 内容 名称 かたがり地蔵 所在地 白山市白山町 種類 地蔵菩薩磨崖仏 材質 凝灰岩 旧所在地 舟岡山の麓の岩壁 現在地への移動 明治期・七ヶ用水工事 名前の由来 岩壁・像が「傾いて」いたこと 泰澄伝承 あり 制作年代 泰澄作とは確定せず、室町期説など 信仰 歯痛・足の病などへの霊験 関係する石仏 波切不動明王 かたがり地蔵は、「泰澄ゆかりの伝承」だけでなく、舟岡山という白山信仰の重要地点にあった磨崖仏であることに大きな意味があります。
以上です。

私が興味深く感じた点は凝灰岩製の地蔵菩薩坐像。形態は半跏趺像。という、岐阜女子大学の解説です。
私も、現地では気がつきませんでしたが、上の写真を見ていて左足が台座から地面に垂れているように見えました。
これは先日ご紹介した松任駅の裏手にある銅造 地蔵菩薩半跏像にも通じるものがあると思われますね。


上の写真と見比べてみてください。
手の形は異なりますが、足の形態はほぼ同様のように見受けられました。








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